雨上がりの翌朝。
木々の緑も、雑草の葉も・・・潤いがあり、光沢が増し・・・活き活き、生き生きとする。
しかし・・・・
多くの人にSUGOI-neを販売、使用してもらって解かったことがある!
この雨後の・・・植物の、葉の元気さが解からない、感じ取れない、掬えないという・・・・
およそ植物つくりの基本の・・・・感性が欠如、削除、乏しい人がランを作っているということである。
ランの一年の、一日の生長量は、非常に少ない。
超スローモーな生き方で生き残ってきた植物である。
こういう植物をつくる場合、最も重要なことは「感性」である!
つまり、ランは技術で作るのではなく、感性で作るものなのである!
カラカラに乾いた感性の持ち主ではランは作れないということである。
温室に寒暖計、湿度計をぶら下げているようでは・・・なんともならない。
温室のドアを開けたときに顔をなでる空気で・・・温室内の状況を瞬間に感じ取れる・・・・
そういう感性の持ち主であれば・・・・大きな失敗はない。
こういう感性の持ち主であれば、SUGOI-neで植えれば・・・
翌日に・・・なんとなくランが生き生きしているのが・・・瞬時に感じ取れるというものである!
こういう感性を持っていれば・・・・
ランが喉渇いているのは・・・解かるというものである。
用土を・・・指でさわって見て、湿り気がなくなったら、1〜3日後潅水????
こんな潅水ではランは作れない!
指に湿り気が感じられても・・・・ランが喉かわいている場合があるからである。
ランつくりは・・・潅水が難しいという・・・
ラン菌が用土に棲息していないからである。
ラン菌というのは、
多湿で酸素が不足するときは、菌糸が酸素をランの根に供給する!
だから自生地で雨期の多湿でも根腐れなど起きない。
逆に乾期で乾燥するときは菌糸が水分を集めてきてランの根に供給する。
こういうラン菌の機能を・・・狡猾にランは利用して生き続けてきた。
この理屈を知らないでSUGOI-neで植えた人は、上手に作れない。
ラン菌に棲息している用土と、ラン菌の棲息していない水ゴケ、バークなどの用土の差、
違いは、微妙なランの表情の違いが・・・ランに現れる!
これを感じとって・・・・毎日の管理に反映できる人がSUGOI-ne栽培大成功となる。
ラン栽培は・・・・
一番先に感性。
その次に・・・・なぜ???そうななったのか???考察、究明。
その次にその状態に的確に行う技術である。
雨後、植物が元気になるのはなぜか???
この疑問を覚える人は、感性が良いから植物が元気になったのが感じ取れたのである。
葉を放射線測定のように測定、分析しなくとも解かるというものである。
なぜ雨後、葉が生き生きとするのか???
SUGOI-ne栽培では非常に重要なこと。
空中で静電気がスパークすると、空中窒素ガスが「尿素」になる!
つまり静電気のスパークで植物が吸収出来る窒素の「尿素」が合成されるということ。
この空中窒素はほとんどの植物が吸収できない!
(マメ科植物の根瘤バクテリアは空中窒素を吸収して窒素を供給する)
雨の粒に・・・この稲妻が合成した尿素が含むことになる。
この雨が葉を濡らす!
葉は・・・この尿素を吸収出来る!
それで・・・雨上がり後、葉が生き生きしてくる。潤いが出てくる!
人間が使用するクリーム。
その成分表をよーく見ると・・・・・保湿成分として「尿素」と明記されている。
人間の肌も植物の葉の細胞も・・・・微量の尿素で潤い、生き生きするのである。
なぜなのか????
地球に生命が誕生する前から・・・・
天空では雷雨が猛烈に降り注いだ!
多くの尿素が合成され海にふり注いだ。
この尿素由来の窒素が・・・やがてアミノ酸を作り・・・・生命誕生。
植物の葉も、人間の皮膚も・・・・生命誕生の36億年前の尿素を忘れていないのである!
だから、宇井清太の発見したラン菌も「尿素」大好き!
雷雨が降ると・・・ラン菌が大繁殖する!
そして地上の枯れ葉を激しく分解し、多くの糖、糖質を作る。
この糖、糖質をプロトコームに菌糸が送り込んで・・・・ランが発芽する。
腐生ラン(朽生ラン・・・宇井清太の造語)は葉がなくとも生きられる。
光合成で作るのも、枯れ葉からできるのも・・・同じ糖、糖質だからである。
この糖、糖質と尿素。
これが・・・・夏負けを防止する。
人間の夏ばてして病院に行けば・・・・ブドー糖点滴、注射する。
全く同じことである。
ラン菌の棲息しない、出来ない用土の水ゴケ、バーク、軽石、杉皮には、
この糖質、糖が出来ない。
このため夏負けしてしまう!
肥料、微量要素の問題ではない!
用土にラン菌が棲息しているか????
用土に炭素源の枯れ葉、又は植物死骸があるか???
そういうことなのである。
そういうことなのであるが、これまでのラン栽培では、
ラン菌も削除、炭素源も削除。
排水性、保水性、耐久性を重要視し、そのため水ゴケ、バーク、杉皮、軽い石、ヘゴ、
オスマンダ、セラミック・・・・。
それに肥料を与えれば・・・ランは生育するという理論、技術を展開してきた。
なぜラン科植物が菌根なのかという・・・・生物進化の最も重要なことを削除してきた。
無用なものを具備する進化はない。
必要だから・・・・400万年も持ち続け・・・現在も持ち続けている。
山から人間がかってに掘ってきて「菌根」など無用だ!
これが現在までのラン栽培法である。
ほんとに。
それでランが喜んでいるのか????
多くの人がランを作れないで枯らしてゆく・・・・。
当然のこと。
枯れるランなら・・・・愛好人口が増えないのは当然。
価格暴落は当然。
ラン界の衰退は当然。
ラン界の命運を左右するのはラン菌である。
そして・・・・
感性が非常に重要である!
SUGOI-neで失敗した人の話をよーく聞くと、
感性の乏しい人がほとんどである。
本を読んで知識を得ても、なんともならない。
植物栽培は試験問題を解くのとは異なる!
試験問題なら、問題を作った人がいて、必ず正解の答えがある。
こういうことと、植物栽培を混同している人がいる。
文章の字句の誤りを非常に重要にアレコレこだわる人がいるが・・・・
そんなもの訂正すればよいことで、
こんな知識でアレコレよりも・・・感性を磨くことである。
そうすると雷雨の、スコールも・・・・SUGOI-neへの潅水法も・・・
無造作にSUGOI-ne栽培を会得できる。
SUGOI-neは、水ゴケ、軽石、バークのような「詰め物」ではない!
単純な用土ではない!
水ゴケにSUGOI-neのような栽培理論などない。
軽石、バークにもSUGOI-neのような栽培理論を構築できない。
ただの「詰め物」に過ぎないからである。
このような用土で栽培されたランの根は・・・菌根にはならない!
ランでありながら・・・ランとは違う植物である!
似て否なる植物である。
愛好者なら、
ランが、植物が喜ぶ・・・・本来の姿の植物栽培を行うのが王道であろう。
ランの天敵がランの愛好者というのは・・・・この辺で終わりにしても良いのではないか???
プラントハンターは・・・・本当に・・・意味があるのだろうか???
18、19世紀なら・・・意味があったかも知れないが。
地球上に・・・・後いくつ未発見のランが棲息しているのだろうか。
そういうことよりも・・・
現在の株を・・・枯らさないで・・・喜ぶラン栽培することが王道であろう。
それには感性を磨き、ラン菌のいる用土で栽培し、
健全な「菌根植物」であるランを愛好することである。
今日も、雷が鳴っている。
集中豪雨が怖い・・・。
しかし、ランも、ラン菌も・・・・豪雨がもたらす「尿素」を待ち望んでいる!
雨の後、葉が活き活きとするのはなぜか
kouza 1bbd